数々のヒット曲を送り出してきた演歌歌手の小金沢昇司さんがお亡くなりになりました。
親しみやすい小金沢昇司さんのキャラクターで演歌にとどまらずバラエティー番組などでも活躍されていましたね。
今回は、小金沢昇司さんのwiki経歴やプロフィール、ブレイクのきっかけやヒット曲についてなどみていきたいと思います。
小金沢昇司が死去
2024年1月15日、演歌歌手の小金沢昇司さんが亡くなっていたことが報道されました。
演歌歌手の小金沢昇司さんが11日に呼吸不全のため神奈川県内の医療機関で亡くなった。65歳。神奈川県大和市出身。所属レコード会社のキングレコードが15日、公式サイトで発表した。通夜と告別式は遺族の意向により近親者のみで行われた。
中日スポーツ
小金沢昇司さんのお別れの会などについては現在のところ未定とのことです。
ネット上では、
歌手 小金沢昇司さん逝く
— yZiZi(ょねじぃじぃ)G☆S競馬部CEO 羽津度主杜御津玖 (@yonesan0320) January 15, 2024
まだ65歳… ご冥福をお祈り致します
また好きだった演歌歌手が逝ってしまった。
— 海裕丸(伊藤春彦) (@Kitakata_Kaiyu) January 15, 2024
#小金沢昇司
小金沢昇司さん亡くなったさすがに65歳早すぎる、、、次から次に大御所の方が、、、御冥福を心からお祈り申し上げます
— やなせひろみ (@HiromiYanase) January 15, 2024
など65歳という小金沢昇司さんの早すぎる死を惜しむ声が多数よせられています。
小金沢昇司さんは演歌歌手としてどのような経歴があり、どのような活躍をされてきたのかみていきましょう。
小金沢昇司のwiki経歴
それでは小金沢昇司さんのプロフィールをみていきたいと思います。
小金沢昇司のプロフィール
- 名前:小金沢昇司(こがねざわしょうじ)
- 愛称:歌手の小金沢君
- 生年月日:1958年8月31日
- 年齢:享年65歳
- 出身地:神奈川県大和市
- 血液型:AB型
- 星座:おとめ座
- 身長:175センチ
- 職業:演歌歌手
- 事務所:ジャパンドリームエンターテイメント
- 特技:サーフィン・空手
小金沢昇司さんの出身地は神奈川県大和市出身で享年65歳でした。
お亡くなりになるにはまだ若すぎますし本当に残念です。
中学・高校時代は不良少年だった小金沢昇司さん。
実家が食堂「八起(やおき)」を経営しており、その手伝いの出前でバイクが必要で1974年、16歳で免許を取得しています。
暴走族の友人が多かったこともあり、バイクの免許を取得してからは、そのような活動に参加していくことになります。
175センチと当時では、かなり大きいガタイで喧嘩も強く、高校時代には神奈川県内の警察署はほとんど泊まったことがあると本人が語っているくらいヤンチャをしていて地元では番長的な存在だったようです。
この父親が経営する食堂「八起」には同級生がしょっちゅう家に遊びに来ていました。
ヤンチャしていたころの友人も来ていたかもしれませんね。
小金沢昇司さん本人も、
父さんはラーメンでもオムライスでも、何でも作って振る舞ってくれるんです。それが目当てで大勢来ました
産経新聞
と語っていました。
どんなにヤンチャしている息子であっても本当に可愛かったんだと思います。
苦節10年の下積み時代があった小金沢昇司
小金沢昇司さんは高校卒業後、実家を継ぐために調理師免許を取得しますが、歌手の夢を追い上京します。
1978年、20歳のころに上京し新宿・歌舞伎町のクラブの調理場で働きながら、音楽の専門学校で勉強をしていましたが2年半後には学校がなくなってしまいます。
それでも小金沢昇司さんは歌をあきらめることなく、約5年後の1983年、小金沢昇司さんが25歳のときに新宿コマ劇場で大演歌歌手の北島三郎さんの大看板が掲げられているのを見て弟子入りし付き人となります。
弟子入りが早く先輩でもある演歌歌手の山本譲二さんはバラエティー番組で小金沢昇司さんと出演の際、
僕は新宿コマに10日間通って10日目で初めて
ごごナマ(NHK)
とアポなしで北島三郎さんへの弟子入りのため、通い続けていたことを語っています。
これに対して、小金沢昇司さんは「兄さんが言った通りです」と自身のことについて答えていますが実は約3カ月通ってやっと弟子入りを果たすことができたそうです。
すべてをかける思いで小金沢昇司さんは弟子入りを果たします。
すさまじい信念ですし、歌に対しての情熱は本当にとてつもないものがあったんだと思います。
そして苦節約10年、1988年、小金沢昇司さんが30歳のときに楽曲「おまえさがして」でデビューを果たします。
【動画】のどのCMで一躍ブレイクした小金沢昇司
デビュー後、小金沢昇司さんはキャンペーンなどの営業で全国を飛び回る生活が始まります。
1日12カ所で歌ったこともあるくらい積極的に活動します。
そしてデビューから約4年後、1992年、小金沢昇司さんが34歳のとき大ブレークのきっかけとなるオンエア率の高かった口腔用ヨード剤「フィニッシュコーワ」(興和)のCMに抜擢されます。
そのCMの中で小金沢昇司さんは「歌手の小金沢君」と紹介され一気に話題となります。
その時のキャッチフレーズは、
「歌手の小金沢君が使っているのはフィニッシュコーワ」
というものでした。
覚えている人もすごく多いのではないかと思います。
当初はセリフが一切なく歌も流れず、のどにスプレーをするCMだったので、当時まだ無名だった小金沢昇司さんが一体誰なのかと話題になりました。
このキャッチフレーズは1992年の現代用語の基礎知識の「新語・流行語大賞」で大衆部門の「銀賞」を受賞するなど当時、まだまだ無名だった小金沢昇司さんは一気にスターダムへとかけあがることとなります。
小金沢昇司の「ありがとう感謝」がロングヒット
小金沢昇司さんの出演するCMが大きな話題となり、1992年5月に発売した「おまえだけ」は35万枚以上を売り上げるヒットソングとなります。
当時は媒体もTVがメインだったこともありCMの反響の大きさはすさまじいものがあったんですね。
小金沢昇司さんはデビューから30年以上の間、様々な楽曲を発表していますが代表的なものに、
曲名 | 発売日 |
---|---|
北の三代目 | 1995年 |
義経伝説 | 2002年 |
ありがとう…感謝 | 2003年 |
神楽坂 | 2008年 |
おぼえていますか | 2018年 |
などがあります。
歌のジャンルも問わずチャレンジし続けていた小金沢昇司さん。
デビュー30周年のときのインタビューでも、
今月31日に59歳で来年は還暦。もうここまで来ちゃったかという思いと、還暦になったら、より一層やってやろうという思いがある。自分はもともとやっていたのはロック。ジャンルにはこだわらず、いろいろな曲を歌っていきたい」
日刊スポーツ
と語っています。
そして、特にこの中で2003年に発売された「ありがとう…感謝」は、2009年に「オリジナル’09 New-Ver.」が発売されるなどヒットとなり、2013年の発売から10年後に「第6回日本作曲家協会音楽祭」にてロングヒット賞を受賞しています。
ネット上では、
http://t.co/F5ucPZK7wR 小金沢昇司 【ありがとう・・・感謝】 いい曲だと思うんだ
— 駄目回路 (@damekairo) June 3, 2013
小金沢昇司の「 ありがとう 感謝」。このあいだ聞いたんだけど、いい曲だ。練習しよう。アリガト~
— イトパイン(伊藤公仁) (@itopine) May 9, 2010
小金沢昇司『ありがとう感謝』
— 恋💘貫き候🍎🐵Jasmine🧞♀️ (@nanaco0302) December 10, 2017
あの曲🎶ヤバす😱
ファンなら👀舞踊観た時
絶対😭泣く…(特に千穐楽)
素敵な勘違い💋する事…
間違いなし👍
イイ曲🎶ってか?
歌詞も⤴︎⤴︎⤴︎良い👏
など年代を問わず、歌と小金沢昇司さんの歌声の良さに「いい曲」との声がたくさんよせられています。
10年以上もの間、愛され続ける曲があるというのは本当にすばらしいことですし、小金沢昇司さんの親しみやすいキャラクターにも愛される理由があったのだと思います。
まとめ
今回は、小金沢昇司さんのwiki経歴やプロフィール、ブレイクのきっかけやヒット曲についてなどみてきました。
演歌歌手として大活躍された小金沢昇司さんですが、まだまだ65歳と若く活躍の機会はあったと思いますし、今後、生の歌声が聞けなくなってしまうと思うと本当に残念でなりません。
心からご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
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